父方の墓じまい
もう数年前から、
その意向を母から聞いていた。
けれどどこか怖くて(何か災いがあるとかそういうことではなく、畏敬の気持ちから)、なかなか着手できなかった。
でももう、今だ。
という出来事が重なり、
重い腰を上げた。
その時にいただいた、アドバイス。
私はどんな心構え、姿勢でいれば良いかと。
その人は言った。
「お父さん、ごめんなさい」という姿勢で、
全ての儀式(お墓の閉眼式など)立ち会うこと。
もちろんそれは、私に罪があるとか私が悪いとか、墓じまいをすることは良くないとか、そういうことではない。
生きていればさまざまな事情はある。
生きていた時の肉体が眠る場所。
そこに魂はないと私は考えている。
けれどやはりそこには、
生きている子孫たちの「心・念・想い」が宿るのだ。
死んだ人はさっぱりしている。
いつだって、弔いが必要なのは、
生きている私たちの「心」なのだ。
だからこその「お父さんごめんなさい。」なのだ。
長年放置したのは間違いない事実だし。
「お父さんごめんなさい。」当然なのだ。
このことに気づいた時、
恥ずかしげもなく泣いたっけ。
故人への想いが集まる場所。
思い出とも言えるものたちが集う場所。
そこをしまうのは、
母がそこには入りたくないという考えから。
何しろ「魂なんてない、死んだら肉体はゴミと一緒。」
という人だから。
どこのお墓にも入らないと。
私はその母の考えを変えるつもりはない。
私だってそう思っているくらい。
ゴミという表現は言い過ぎだと思っているけどね(笑うとこ)
でも、遺骨には宿らないという意味で、考えは同じ。
生まれるとはこの世に生まれること
死ぬとはあの世に生まれること
これが私の定義だから。
でも前述のように「心」だけはある。
これは不思議とエネルギーとして宿る。
それはもう、何度も体感しているから間違いない。
たった今、手紙を出した。
書いてすぐに出さないと決意が鈍りそうだったから。
墓じまいに着手したいと、
父方の菩提寺への手紙。
そして菩提寺の住所などを調べてわかったのは。。。
もともと真言宗だったのを日蓮宗にあらためたお寺。
だそうで。
日蓮宗なのはわかっていたけれど、
もともとが真言宗だとは。
何が何やら、苦笑いをするばかり。
取り留めなくなってきたので、この辺で。
あ、深刻にはなっていないですからご安心を。
真摯に取り組みます。
との誓いを、書き留めるための投稿です。
重たい話題ではありますが、
最後まで読んでくださってありがとうございました。
空海さん、日蓮さん。
見守っていてくださいっ!!!
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