合わない相手を受け入れる
価値観が違う相手を受け入れる
これに拒絶反応を示す人がいます。
何を隠そう、かつての私です。
この時起きている、壮大な勘違いは、
その合わない考えや価値観を自分も採用しなければならない。その価値観をもつ相手の存在を許せないくらいなのに、受け入れるってどういうこと??
となってしまうからです。
でも、受け入れるの本質は違います。
例えて言うなら、そう。
目玉焼き。
え?目玉焼き?
そう、目玉焼き!
あなたが目玉焼きには醤油をかけて食べるのが当たり前に育ったとしましょう。家族全員、醤油をかけます。
ところが!!!
そんなあなたの前にある日、
「目玉焼きにはソースでしょ」
という人が現れます。
ええ?うそーん!
そんなあ!!!ありえなあい!!
いや、育った環境が違うから、
あり得るんです。
でも、目玉焼きには醤油と思い込んでいるあなたには受け入れがたいことです。
で、この時に起きている壮大な勘違いは。
わたしもこれからは、目玉焼きにはソースをかけて食べなくちゃいけないんだ!!!
と思ってしまうことです。
目玉焼きにソースをかける人もいるんだ。そうなんだね。
(ま、そんな不味そうなこと私はしないけどね!と思ってもよし)
で良いのに。
それだけで相手を受け入れることになるのです。
違う考えの人もいるんだなあーと、認識することが受け入れるってことなのです。
わざわざ相手の人格まで否定する必要はないし、その資格は誰にもありませんからね!
合わない相手を受け入れるってことは、しょーゆーことなのですよ!
#最後のを言いたかっただけか
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